大正14年代(1925)のラジオ

NHK東京放送局JOAKが放送を開始した時期に使われた受信機で、アメリカの大量生産ラジオ会社クロスレー社の廉価ラジオを模して作られている。使用している真空管は201A5本、パーツ(部品)は大正13年の製品で日本の当時としては高級品に属する。昭和59年(1984)に修復を完了したが、同一のパーツは無く代替品を使っている。

因に、日本の通信事業を概観すると、郵便通信は明治5年(1872)から郵便取扱所の整備が進められ、明治6年(1873)全国均一料金にもとずく政府専掌の事業として江戸時代の飛脚制度より再編された。電信事業は明治2年(1869)東京、横浜の公衆通信が設けられ、明治6年(1873)以降全国各地に電話局の設置が見られた。なお、明治18年(1885)の逓信省の設置で郵便局と電話局が合併されている。放送事業は大正9年(1920)アメリカで世界初のラジオ放送局が誕生し、日本では大正13年(1924)に後のNHKである東京放送局が誕生し、大正14年ラジオ放送が開始された。

注:真空管201Aは大正11年米国RCA社が発売

直進型クライストロン1AV56

UHFテレビ送信所に使う送信管。昭和42年(1968)NHKをはじめ民放各社がUHF放送を開始したときから大量生産に入った。

世界的に見れば、クライストロンそのものは昭和14年(1939)アメリカスタンフォード大学のバリアン兄弟が「速度変調管クライストロン」の研究発表をしている。「クライストロン」の名称はバリアン兄弟がつけたもので波が岸に寄せては砕ける意味のギリシャ語KLYZOからきている。

展示の1AV56(出力30KW)は、分解したものと分解再組み立て下ものの2本で、本体よりも箱の製作のほうが高くついた。ある人曰く「小代さんの棺桶だ」と。

無線の発展

無線の発展・普及は真空管の発明に依るところが多大である。就中三極真空管が明治39年(1906)ドフォレスにより発明され、安定な電波が得られるようになった。その後多種多様な電子管が開発されて、昭和20年代の終戦前後は真空管全盛時代をむかえた。

更に、今日の電子工学の隆盛をもたらしたのは、ショックレー、ブラッテン、バーディーンによる点接触型トランジスターの発明であり、その試作・開発は昭和22年(1947)、日本では昭和27年(1952)である。昭和30年(1952)には東通工(ソニーの旧名称)が最初のトランジスターラジオを発表した。

小型、軽量、小消費電力の能動パーツであるトランジスター、IC、LSI、超LSIが、はやりの携帯電話からコンピューターをいのちとした宇宙飛行までを可能にした。

これから先、真空管からトランジスターヘの変転と同じような大発明がはたして出るであろうか!

無線博物館へのアクセス

場所は国道57号線三宅より2Km、近くに自然庭園の用作公園、仏教史跡の普光寺磨崖佛、近代化遺産のこうもり瀧船路跡、そして岡城址と遊歩によい場所で、明専寺の隣りに位置しています。どうぞ遠慮なくお立ち寄り下さい。

 なお、不定休ですので、お越しの際は必ずお電話にてご連絡ください。

館主 小代 隆徳

〒879-6213 大分県豊後大野市朝地町上尾塚154-1
TEL 0974-72-1484
FAX 0974-72-1484

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展示物のご紹介

展示物は、古くは東京放送JOAKが仮放送を開始した大正15年(1925)代のラジオもありますが、中心は昭和20年(1945)の終戦以降のものであります。真空管全盛時代から半導体応用全盛時代の理論と技術を学ぶと同時に、文化遺産として後世へ残すことを目的にしています。更に、現代のあまりにも専門化が進み、素人の手からはなれたエレクトロニクス機器の時代に、展示物を観てオリジナルなものを作る楽しみを味わい、いわゆるサイエンスの芸術品を創造していくよろこびを満喫してもらいたいと願っています。